厚労省、介護移住に『生活圏転籍』指針 県境越え受診の負担精算を標準化
東京都板橋区のマンションを引き払い、埼玉県和光市のサービス付き高齢者向け住宅に移った78歳の女性は、主治医を都内の循環器科に残したまま、訪問介護と通所リハビリは和光市内で受ける。費用請求は医療、介護、見守り、移送補助で窓口が分かれ、娘は月末ごとに3自治体分の通知を照合してきた。こうした「介護のための近距離県境移動」が増えるなか、厚生労働省は22日、医療・介護・生活支援の負担精算を生活圏単位で整理する「生活圏転籍運用指針」を公表した。
新指針は、住民票の異動先と実際の受診・介護利用先が一致しない高齢者を対象に、自治体間の費用調整と情報連携の手順を標準化する。転居後180日以内は旧自治体のケア記録を新自治体の業務AI基盤へ自動連携し、介護認定の再判定を原則省略する。対象は要介護1以上または75歳以上の単身・夫婦世帯で、医療保険者、介護保険者、住宅支援部局が共通IDで照合する。厚労省によると、県境をまたぐ近距離介護移住は2044年度に推計28万件と、2030年代初頭の1.8倍に増えた。
背景には、高齢者本人の希望よりも支え手側の就労制約がある。内閣府の生活圏移動調査では、親の転居理由の46%が「子の通勤圏内への移動」、27%が「多言語対応医療への接近」だった。従来は施設の空き状況や家賃が焦点だったが、最近は平日夕方の見舞い到達時間、同行アンドロイドの保守拠点、デジタル円の対面補助窓口の有無まで比較対象になっている。自治体境界は残る一方、介護の実務はすでに鉄道30〜50分圏で再編されつつある。
制度変更は住宅市場にも波及する。大和ハウスリアルティマネジメントとLIFULL総研が4月にまとめた調査では、高齢者向け賃貸の問い合わせ項目で「最寄り病院」や「段差」より「旧自治体サービスの継続可否」が上回った。東京23区外縁、川崎北部、千葉西部では、県境近接で広域病院にアクセスしやすい物件の成約賃料が前年同月比6〜9%上昇した。一方、行政手続きが二重化しやすい飛び地的生活圏では空室期間が平均19日長い。住宅事業者は間取りやバリアフリーだけでなく、転籍事務の代行体制を競い始めた。
自治体側には歓迎と警戒が交錯する。神奈川県藤沢市は横浜、鎌倉を含む沿線生活圏で先行導入し、再認定事務の処理時間を3割削減した。半面、受け入れ自治体が住宅支援や送迎補助を先行負担し、精算が遅れる問題が残る。東京都足立区は「生活圏単位の実態に制度が追いつくのは妥当」としつつ、税収は移らないのに介護周辺行政の負荷だけ増えると国費上積みを求める。総務省と厚労省は、2046年度概算要求で広域介護調整交付金の新設を検討する。
論点は財政だけではない。転籍の簡素化で、本人の意思確認が形式化する恐れもある。高齢者団体の全国長寿就労協議会は、子世帯の就労都合を優先した「準強制移住」を防ぐため、転籍時に第三者面談を義務づけるよう求める。厚労省は、本人の意思疎通環境や就労継続の有無を確認項目に加えたが、現場では家族、住宅事業者、病院が先に移動計画を固める例が多い。人口減少下で介護を家族の移動コストとして管理する発想が、制度の前面に出てきた。